☑️本記事のテーマ
アイスホッケー指導者への道【田中雄也プロフィール】
☑️本記事の目次
- ①田中雄也とは??
- ②指導者としての経歴
- ③アイスホッケーを始めたきっかけは??
- ④挫折から新たな目標へ‼︎
- ⑤氷都としての危機感
- ⑥氷都釧路に再び栄光を
- ⑦私設団体スキルチャレンジの誕生


☑️田中雄也プロフィール
■一般社団法人スキルチャレンジ
■代表理事 田中雄也
■1983.02.26
■サラリーマン起業家/アイスホッケーコーチ
■北海道を中心に活動しています。
☑️田中雄也って、そもそも誰?
田中雄也とは??
私は、アイスホッケーが盛んな街の氷都としても有名な、北海道釧路市に生まれた、37歳(2020.02,26現在)男性です。
アイスホッケー歴としては、小学校・中学校・高校・大学・社会人と、現在も社会人のチームでプレーをしていて、アイスホッケーの指導者としては、2008年から現在までの13年間(2020年2月現在)活動をしています。
現在も幼児〜オリンピック選手まで幅広く、毎年300名以上を指導していて、氷上練習の指導回数だけでも、年間で約500回以上を超える回数を指導しているんですよ〜。笑
仕事については複数の仕事をしていて、本業については、日本製紙釧路工場の発電所でボイラー技師として勤務するサラリーマンをしています。
その他には、アイスホッケーの普及・育成を推進する『一般団法人スキルチャレンジ』という法人の代表理事として活動し、釧路市内でフィットネスクラブの『TORESUTA〜トレスタ〜』や北海道の小学生を対象とした『アイスホッケーアカデミー』の運営する起業家でもあります。
指導者としての経歴
※カワセミDaishinレディース
※昭和小学校アイスホッケー同好会 集合写真
※スキルチャレンジアイスホッケーアカデミー
指導者としては2008年から現在にわたり、地元釧路の小学校・中学校や釧路選抜、そしてアジアトップリーグに参戦している日本製紙クレインズ(現:東北海道クレインズ)のジュニアクラブのコーチとして約10年在籍し、2019年7月からは女子日本代表選手も在籍する、カワセミDaishinレディース、大進ジュニアクラブの指導者として活動をしています。
アイスホッケーを始めたきっかけは??
私がアイスホッケーを始めたきっかけは、父親が当時の日本リーグ(現アジアリーグ)に参戦していた十条製紙(現東北海道クレインズ)でプレーしていたこともあり、2歳の時に始めてスケート靴を履き、遊びといえば、夏は外で陸上アイスホッケー、冬は屋外リンクでアイスホッケーという環境であったため、物心ついたときには、父親のようなアイスホッケー選手になるのが夢となっていました。
挫折から新たな目標へ‼︎
※私が高校生の時、クレインズの試合観戦後に伊藤健吾選手との記念撮影笑
私の思い描いたプロのアイスホッケー選手という夢が叶う事はありませんでしたが、そんな私が新しい目標を見つけるのにそう時間はかかりませんでした。それは、ずっと父親の背中を見てきたからです。私の父親は、現役生活を終え社会人となり、その後、小学校・中学校やジュニアクラブを指導し、長野オリンピックの時には女子アイスホッケー日本代表のコーチをつとめ、その後は日本製紙クレインズの監督となり、創部してから初めての優勝監督となりました。そんな姿を見て、私も父親のようなすばらしい指導者になりたいと。そして私は、その目標に向ってスタートしました。
氷都としての危機感
指導活動を続けている中、私が指導している環境で痛切に感じることは、アイスホッケーの競技人口の減少と、技術力の低下です。一昔前だと、小学校で言えばアイスホッケー同好会は釧路市内だけで、30校程度あり、部員も各学校に30~40人は在籍し、多い学校では100人近くいた学校もありました。
まさに学校数=アイスホッケーチーム数とも言えるような状況だったのです。ですが、今年の小学校のチーム数はわずか7チーム・・・。現在は、学校単独では部員が数名しか居ないためチームを存続できず、周辺地域で合併した合同チームが多数を占めています。
過去の釧路のアイスホッケーは、全道・全国で常勝するのが当たり前で、日本リーグ(現アジアリーグ)に何人も声が掛かっていましたが、現在は、勝てず、呼ばれず、っと言った状況が続き、将来有望な選手は高校進学時に、地方の強い高校へと進学してしまい、技術力の低下や指導者不足に拍車が掛かっているのが現状です。また、近年の市内リンクのスポーツセンターや十条製紙のメインリンクでもあった十条リンクの閉鎖に伴い、かつては6会場もあったリンクも、4会場まで減ってしまいました。このまま閉鎖が続くと、釧路での国体やインターハイなどの大会を招致できなくなります。
氷都釧路に再び栄光を
アイスホッケーをもっと多くの人に!もう一度輝いていた、氷都釧路と呼ばれていた栄光の時代を取り戻したい。先ほども述べましたが競技人口の減少に競技レベルの弱体化などが、顕著に現れてきた中、かつては氷都釧路と呼ばれていた栄光の時代をもう一度取り戻したい。今の状況を目の当りにし、私たち指導者は、私たちを育ててくれた釧路のアイスホッケーに恩返しがしたい。そしてもう一度あの輝いていた氷都釧路を蘇らせたい。
私設団体スキルチャレンジの誕生
私は釧路のアイスホッケーの現状を目の当たりにし、少しでも起爆剤になればと、私と志が同じメンバーと2011年に私設団体スキルチャレンジを立ち上げました。
スキルチャレンジでは、競技レベルの向上、競技人口の増加などで、完全に失いかけた氷都釧路を取り戻すため奮闘しています。
活気にあふれたアイスホッケー環境は地域の活性化にもつながり、釧路から一人でも多くのオリンピック選手を出せるような氷都釧路になると思います。
最後になりますが、未来を担う子供たちの夢のため、私達スキルチャレンジにお力をお貸し下さい。
よろしくお願いいたします。
次回は、私設団体から法人化するまでの流れなどをまとめようかと…
んじゃまた👋